脱原発を主張する人たちの思い

2011年の東日本大震災では多くの人が被災し、その影響を受けましたが、原発の周辺に住んでいた人はいまだに故郷に戻ることが出来ず、不便な暮らしを強いられています。

また、原発事故が発生したことにより、現時点でもそのことに関する風評被害、日本に対するイメージが回復したとは言えない状況が続いています。

にもかかわらず、国内では原発を動かそうとする勢力が存在し、反省をし切れていない中で動かそうとする自治体、電力会社がいます。

そうした動きに反発するのが脱原発を主張する人たちです。

 

脱原発を主張する背景には、原発事故が発生した時の取り返しのつかなさを危惧する気持ちがあります。

原発は全国の海岸に点在し、その周辺地域を含めればかなりの人が対象となります。

もし何か事故が発生した場合、本当に対応できるのかという不安、不信が脱原発運動の背景にあります。

現に原発を動かしたい自治体が示すデータの中には、自治体にとって都合のいい数字、状態が並び、あらゆる可能性に対応できていないというのが実情です。

人間の都合のいいように自然現象が起きればいいですが、そんなことがあるわけがないのは人間であれば誰しもがわかることです。

そして、想定しないことが起きたからこそ福島の原発事故も発生したため、あらゆる可能性を提示し、それに関して真摯に対応することが本来自治体や電力会社に求められる姿勢です。

それがないため、これでいいわけがないと主張する人が出てきます。

 

別の背景として、原発がなくても何とかなるという事実です。

日本では原発事故以降原発ゼロの時期が続きました。

これはすべての原発で点検作業が入ったためであり、一番電力を使う夏場を迎える際には節電が求められました。

結果として輪番停電を求められるようなこともなく、混乱もないまま夏を乗り切ることに成功しました。

こうした事実から原発がなくてもいいではないかという主張につながります。

一方、原発は安い燃料で動かすことが出来るという主張がなされ、燃料にかかるお金がかなりなものになっており、動かした方が経済的だという主張も見られます。

しかし、補助金などにより安くしているだけで実際は大して変わらないという調査もあるなど、原子力発電は安いというのが本当に正しいのか疑わしいのも実情です。

 

とはいえ、脱原発に関する運動が評価されていると言われれば決してそうではないのが現在の状況です。

国会の前では決まった曜日に目の前で抗議運動が行われ、脱原発だけでなく、様々な活動が行われています。

その規模は国会で取り上げられている議題によって様々ですが、場合によっては相当な人数が参加するなど盛り上がりを見せることもあります。

ところが、それらを普通に生活をしている人からすると、あまりいいように見ていないというのが浮かび上がります。

日本ではデモに対する認識が冷たく、むしろいいものだとは思っていない人が多いのが実情です。

例えば、ストライキなど諸外国では当たり前のように行っていますが、まず日本ではこうしたことは起こりにくく、理解も得られません。

自分たちのことだけしか考えられないのかという声が多いためで、こうしたこともあり、抗議すること自体が良くないことだという認識が広まっています。

しかし、自分たちのことだけしか考えられないのは、デモを非難する人たちにも言えることです。

 

また、日本のようにデモや民衆の運動によって体制が変わる、物事が変わるという経験がないとデモへの熱は下がりますが、韓国のようにデモ行為によって民主化を勝ち取るなど成功体験がある国ではごく当たり前にデモが行われます。

こうした背景の違いも脱原発を主張する人たちへの冷たい視線となりますが、こうした主張はほかの国では当たり前のように見ることが出来ます。

お互いの主張が平行線をたどるのは、なぜそのような主張をするのかお互いに理解しようとしない点にあります。

なぜ原発はいらないと主張し、なぜ原発を動かすことを執拗に求めるのか、互いの主張を理解しあうことにより、ソフトランディングをした考え方、対策を立てることが出来るようになります。

それをしないことで強硬策がまかり通り、多くの人が傷つくことになり、ますます理解をしようとはしなくなります。

相手の考え方に立った活動というのも今後は必要になります。

経済的に動かした方がいいというのであれば、原子力がそこまで安いわけではない根拠を示す、安全だというのであれば具体的な根拠を示させるなど、具体的な数字、根拠を並べることが大事であり、感情に訴えかけるのは場合によっては良くても、時に逆効果になることもあります。

こうした主張をする人の多くは福島の現状を直視しており、直視できない人、切り捨てる人が原発を動かせと主張しているというのもあります。

いずれにしても、互いのスタンスを理解しようとする姿勢がこの場合求められます。

 

出典:東海村の真意 村上村長に聞く